エルミタージュ美術館学芸員 アレクセイ・ボゴリュボフ
目の前にある須藤大介氏の作品が生まれるまでの過程を想像しました。舞台は、宇宙なのか、地上なのか、海底なのか。 どことでも考えられますが、どこでもないような気がします。表現しようとしている世界はいったいどこにあるのだろう、何をきっかけにこの生き物たちを思いついたのだろう。不思議な感情が込みあがってきます。 須藤氏の作品は、異国情緒漂う幻想的な世界に私たちを引き込みます。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで流行したファンタスマゴリーを彷彿とさせる、妖しくも不思議な空間が演出されています。登場するモチーフはキャラクターとして確立し、生き物の息吹までも感じるほどです。
作品からは、共通して詩的な要素を感じます。 愛らしいおとぎの国や純真無垢なファンタジー世界とは違い、心の奥底から湧き上がる情熱やエネルギーなど激しく強い感情を感じます。これは、須藤氏自身が直面した問題や衝突を表現したのではないかと想像しました。リアルなモチーフと、それを取り巻くミステリアスで非現実的な環境が1つの作品に詰めこまれています。そこには風景画や単純な人物画では表現できない、世界の矛盾や生きていくことで降りかかる悩み、須藤氏の哲学的思想が内包されているように感じます。
この雰囲気をより向上させているのが、須藤氏の高いデッサン力と配色センスです。特に色の選びかたにおいては、選択した色が自身のキャンバス上でどのように作用するのか、描いたモチーフにどのような影響をもたらすのかを理解していることがうかがえます。植物、動物、オリジナルのキャラクター、風景など、すべてにおいて複雑に絡み合う色彩によって、妖しさは和らぎ、不思議な世界の登場人物へと昇華させています。須藤氏の色彩センスの一例として「赤」の使い方を挙げましょう。作品『果てゆく街』を筆頭に、様々な作品で使用されている「赤」。不安や危機感などを助長させる色味ですが、世界観の均衡を保つポイントとして、うまく用いられています。赤の補色を用いてハレーションの効果を利用した作品も見事で、これは色の役割を理解できている証拠です。
独自の色彩センスによって描かれたモチーフや風景は、確かな存在感を放ちます。絵画は基本的に2次元世界。そして描かれるのは非現実的な世界であったりします。しかし、須藤氏の描く情景、生き物たちは確かににそこに「存在している」説得力があるのです。キャンバス上の幻想的な世界では、すべてが引き伸ばされ、逆さまになり、混ざり合い、装飾的な配色によって色付けされながらも、現実と乖離することなく、確かに存在している。心の中にはっきりと「いる」のです。キャンバスの中で、新しい生命や現実を創造しようと、もしくは葛藤と戦おうと、うごめき、変容しているように思うのです。止まっているはずの絵画の世界が、濃密になってゆく。作品に命が宿っているように感じました。
須藤氏は、現実世界を生きる意義や、存在していることの意味を熟考しているのでしょう。そして、絵画として具象化し、何らかの答えを見つけることができた。ゆえに、須藤氏の生み出した世界は、ここに「存在している」のです。
モチーフはうごめき、作品には命が宿る
エルミタージュ美術館学芸員
アレクセイ・ボゴリュボフ
目の前にある須藤大介氏の作品が生まれるまでの過程を想像しました。舞台は、宇宙なのか、地上なのか、海底なのか。
どことでも考えられますが、どこでもないような気がします。表現しようとしている世界はいったいどこにあるのだろう、何をきっかけにこの生き物たちを思いついたのだろう。不思議な感情が込みあがってきます。
須藤氏の作品は、異国情緒漂う幻想的な世界に私たちを引き込みます。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで流行したファンタスマゴリーを彷彿とさせる、妖しくも不思議な空間が演出されています。登場するモチーフはキャラクターとして確立し、生き物の息吹までも感じるほどです。
作品からは、共通して詩的な要素を感じます。
愛らしいおとぎの国や純真無垢なファンタジー世界とは違い、心の奥底から湧き上がる情熱やエネルギーなど激しく強い感情を感じます。これは、須藤氏自身が直面した問題や衝突を表現したのではないかと想像しました。リアルなモチーフと、それを取り巻くミステリアスで非現実的な環境が1つの作品に詰めこまれています。そこには風景画や単純な人物画では表現できない、世界の矛盾や生きていくことで降りかかる悩み、須藤氏の哲学的思想が内包されているように感じます。
この雰囲気をより向上させているのが、須藤氏の高いデッサン力と配色センスです。特に色の選びかたにおいては、選択した色が自身のキャンバス上でどのように作用するのか、描いたモチーフにどのような影響をもたらすのかを理解していることがうかがえます。植物、動物、オリジナルのキャラクター、風景など、すべてにおいて複雑に絡み合う色彩によって、妖しさは和らぎ、不思議な世界の登場人物へと昇華させています。須藤氏の色彩センスの一例として「赤」の使い方を挙げましょう。作品『果てゆく街』を筆頭に、様々な作品で使用されている「赤」。不安や危機感などを助長させる色味ですが、世界観の均衡を保つポイントとして、うまく用いられています。赤の補色を用いてハレーションの効果を利用した作品も見事で、これは色の役割を理解できている証拠です。
独自の色彩センスによって描かれたモチーフや風景は、確かな存在感を放ちます。絵画は基本的に2次元世界。そして描かれるのは非現実的な世界であったりします。しかし、須藤氏の描く情景、生き物たちは確かににそこに「存在している」説得力があるのです。キャンバス上の幻想的な世界では、すべてが引き伸ばされ、逆さまになり、混ざり合い、装飾的な配色によって色付けされながらも、現実と乖離することなく、確かに存在している。心の中にはっきりと「いる」のです。キャンバスの中で、新しい生命や現実を創造しようと、もしくは葛藤と戦おうと、うごめき、変容しているように思うのです。止まっているはずの絵画の世界が、濃密になってゆく。作品に命が宿っているように感じました。
須藤氏は、現実世界を生きる意義や、存在していることの意味を熟考しているのでしょう。そして、絵画として具象化し、何らかの答えを見つけることができた。ゆえに、須藤氏の生み出した世界は、ここに「存在している」のです。